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本町地区について.jpg

石狩八幡神社が所在する本町地区は、“石狩発祥の地”として江戸中期より「イシカリ十三場所」の

元小屋として栄え、道央地域の経済の中心地でした。このページでは、当時の面影を残す本町地区の

魅力的なスポットをお伝えします。

弁天歴史公園

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石狩市市制施行メモリアル事業のひとつとして、石狩医院跡に弁天歴史通りと​一体的に作られた公園です。番屋の湯から八幡神社まで800mの通りに、番屋の湯・砂丘の風資料館・旧長野商店・曹源寺・弁天社・弁天会館・運上屋棟・楽山居・法性寺・尚古社・金大亭・金龍寺・八幡神社などが立ち並んでいます。弁天歴史通りは街路樹を避けて作ったため、曲がりくねった石狩川のような形状になっています。暗くなると証明が灯り、幻想的な雰囲気が漂います。

運上屋

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運上屋は場所請負人とアイヌの交易の拠点。弁天歴史公園内の運上屋棟は、

​当時この辺りにあったとされる運上屋を縮小し、再現したもの。下見板貼りの壁と大きな石置き屋根が特徴で、観光案内所として利用され、観光シーズンにはガイドが観光案内をしています。

​砂丘の風資料館

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石狩の川・河口・海や自然と歴史、縄文時代の人々の暮らしに関する資料館1階にはオオワシやゴマフアザラシ、チョウザメの剥製、クジラの化石などが展示されています。2階には5000年前から3000年前の遺跡である石狩紅葉山49号遺跡をテーマに、縄文時代のサケ漁と木の文化について展示されています。また、石狩が日本で初めて缶詰工場ができた場所ということに​ちなんで、缶詰マシーンも設置されています。

旧長野商店

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明治7年に新潟県出身の長野徳太郎が創業。市内最古の木骨石造建築物で、

札幌軟石が使用され、伝統的な日本家屋に見られる屋根瓦にアーチ型の窓を

もつ和洋折衷のデザインが特徴です。米、塩、呉服、反物のほか、酒業も営んでおり、当時の石狩を代表する商家のひとつでした。元は親船町7番地にありましたが、平成13年に現在地に移築復元されました。

楽山居

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​明治3年に開業した石狩医院が大正時代に官営から民営となり、当時の

院長鈴木信三氏の和室として昭和12年に建造されました。平成12年に復元

され、和風庭園を眺めながらの茶会や句会など、多目的に利用されています。

石狩弁天社

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石狩市内最古の神社。元禄7年に松前藩の秋味上乗役である山下伴右衛門が、鮭の豊漁と海上安全を願って松前神明社からご神体をいただき創建しました。当初は石狩川河口付近に所在し、石狩独特の神様「妙鮫法亀大明神(通称 サメ様」が祀られました。その他に稲荷・大黒・恵比寿・毘沙門天も合祀されています。明治7年、石狩八幡神社が弁天社の所在地に移転することになり、現在の場所に遷されました。

西国三十三箇所霊場

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本町地区には新潟県出身者が多く、故郷新潟県の天曝観音が安置されている

塔婆山に33体観音があったことから、昭和11年に三十三箇所霊場が、本町地区婦人会の寒修行の浄財と住民の寄付によって建てられました。

​太郎代雨曝観音

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西国三十三箇所霊場内にあり、石狩浜のサケ漁業と北洋漁業で活躍した吉田庄助氏が、故郷新潟の太郎代浜村から昭和10年に太郎代天曝観音のご分身を迎え安置したものです。太郎代の地名は、開村の祖、斉藤太郎太夫に因んでいます。一人の僧が太郎太夫を葬ったろ塔婆山で読経し、観音像を贈ると言い去った翌年、航海中の船が動かなくなり、観音像を降ろすようにとのお告げがあり、神社境内に安置するが倒れたり、位置を変えたり落ち着かない。そこで塔婆山に移し、お堂を建てても屋根が吹き飛び、雨曝しにしたところ平安な日々が訪れたと言われています。

​石狩尚古社

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​道央地域最古の俳句結社で、幕末期の安政年間に設立された。当時の資料は

中島家の土偶から発見され、現在は私設資料館として、俳諧資料を中心に代々収集された維新前後の偉人達(吉田松陰・西郷隆盛・勝海舟・大久保利通・木戸孝允など)の書幅や書籍、生活用品などを展示している。

はまなすの丘公園

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石狩川と日本海が出会う砂嘴の上にあり、遊歩道を渡って河口まで歩くことができます。総面積約46ヘクタールの園内 には180種類もの海浜植物が自生 し、ハマナスやエゾスカシユリ、ハマエヒルガオなど 四季折々の植物を楽しむことができます。オジロワシやノビタキ、ヒバリなど数々の野鳥も生息しています。園内にある灯台は、100年以上の歴史を誇る石狩のシンボルです。1957年に松竹映画「喜びも悲しみも幾年月」の撮影の舞台にもなりました。

海浜植物保護センター

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豊富な海浜植物や天然の海岸林が残る、全国的にも貴重な自然海岸である

石狩浜。1970年代以降、過剰なレジャー利用やハマボウフウ等山菜採りなどにより、海浜植生の破壊が進みました。石狩浜の豊かな自然を守り回復させ、みんなの財産として後世に遺していくための活動拠点として、2000年、石狩浜海浜植物保護センターがオープンしました。現在、浜の自然情報の提供や調査研究、環境学習等に関わるさまざまな活動に、石狩市、市民、研究機関が協働して取り組んでいます。

無辜の民

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北海道が生んだ世界的彫刻家・本郷新氏(1905年から1980年)の代表作

「無辜の民」シリーズ15点の一つ。開拓に命を捧げた人々を想い製作された

もので、台座には「この地に生き、この地に埋もれし数知れぬ無辜の民の霊に捧ぐ」と刻まれている。無辜の民とは、「罪なき人々」という意味。生きる自由を奪われた悲しみが伝わってきます。除幕は1981年6月30日で、「ハマナスの咲く頃石狩浜に」の言葉を受け、設置されました。

​金大亭

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鮭鱒専門料理の老舗割烹で、北海道の郷土料理石狩鍋発祥の店と言われて

います。創業した当時のままの趣のある店舗で秘伝の味を堪能できます。

番屋の湯

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石狩の海を望む源泉100%茶褐色の天然温泉で、出湯は太古の海水が育んだ「化石水」と使用しています。「化石水」は、海底に降り積もり続ける砂や泥が層になり、その隙間に海底の海水が閉じ込められることによって生まれたと考えられています。

(いしかりガイドボランティアの会学習シリーズ第二週『石狩本町』、石狩市ホームページ、砂丘の風資料館ホームページ、石狩海浜植物保護センターホームページより引用)

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