鳥居
■高さ 450cm
■彫字
右石柱 表面:奉 海上 顧主當場所請負 人中 同秋味建船中/裏面 文化10年
左石柱 表面:献 安全 願主 栖原屋半助米屋 孫兵衛/裏面 癸酉8月吉日
もと石狩弁天社の鳥居であったが、明治7年石狩八幡神社が弁天社内に移った時、「弁天社は村山家の内神」ということで、開拓史の命により同家所有地であった現在地に移され、鳥居だけが残されたものである。大正7年、正式に八幡神社の所有となり、石狩川口に向かっていたものを同9年に現在の南東向きにし、上部の一部を八幡鳥居形式に改修した。石材は現在の兵庫県内産出の白ミカゲ石で、大坂から村山家の手船で運ばれてきた。
願主の栖原屋半助は、本姓を北村といい文化2年から同10年まで、7代栖原屋角兵衛は、石狩十三場所の内五場所をはじめ東西蝦夷地や北蝦夷(サハリン)の各場所を請負った豪商である。米屋孫兵衛は本姓を佐野といい、越後国寺泊村の出で、天明年間に松前唐津町に移住。石狩十三場所の内五場所をはじめ釧路場所を代々請負い北蝦夷の開発にも尽くした豪商である。
玉垣
■建立年月日 大正11年
■高さ 140cm
大正11年建立されたが、石質が札幌軟石のためか摩滅が甚だしく、氏名が
不詳の石柱は、前述のほか17柱ある。
寄進者は、主に町内各界各層にわたっている。
手水鉢
■建立年月日 2005年(平成17年)9月
■大きさ 高さ67cm 横幅92cm 奥行き37cm
■奉納者 奥山 勲司
■彫字 奉納 (裏面)平成17年9月吉日 奥山 勲司
奉納者の奥山勲司は、石狩八幡神社に対する崇敬の念篤く、地元で幟を寄進した折、それまで参詣者が使いにくかった手水鉢に代えて、新しい手水鉢を寄進した。
これにより従来あった寛政元年銘の手水鉢は弁天社へ移転した。
御神燈軸石
■建立年月日 大正8年8月(軸石は明治2年)
■高さ 115cm
■題字 文武一徳 裏面 〇上2年
肇城四方 裏面 今上2年明治戊辰秋
8月縣令井〇〇〇時敬建
この碑は、慶応4年(明治元年)7月、明治新政府の箱館府石狩役所主宰を命じられた井上弥吉(長州鰐石の人、のち熊野九郎と改名)が、同期の木戸孝允(参議)筆になる「文部一徳」「肇城四方」の八字を彫りこんだ石燈ろう一対を八幡神社に奉献したもの遺材である。約50年間の変せんのなかで燈ろうも散逸してしまったが、岡村社司(鳥取の人、父は同藩士)がこれを慨嘆して探ね僅かに棹石部分の石柱を見出し、台座にその由来を記して大正8年8月これを碑とした。軸石の一部は欠けており補修している。
御神燈
記念碑
大禮記念
■建立年月日 昭和8年9月15日
■高さ 203cm
■建立年月日 明治30年7月18日
■高さ 345cm
狛犬
■建立年月日 昭和5年9月15日
■高さ 160cm
■建立年月日 昭和4年4月15日
■高さ 160cm
(石狩八幡神社御創設140周年記念事業 『石狩八幡神社史~鮭のまちと共に140年』より引用)